認知の歪みと愛の話(舞台「凍える」を観賞して)
「FROZEN、か。面白いなぁ。」
ろくに下調べもせず公式サイトも真面目に読まず、兵庫まで舞台「凍える」を見に行ってきました。
その劇場で、初めてポスターを見た感想がこれ。
私にとってこの題名は、ディズニーのあれのもの、という感覚。
そう、邦題「アナと雪の女王」である。
同じ題名でありながら、こんなにもイメージさせるものが違う。
⚠️全て専門性の無い私の見解です
⚠️ここからは、舞台「凍える」のネタバレもしくは公式サイトを一読してから見ることをお勧めします。
とはいえ読まなくても大丈夫です。
私がまず気になったのは、登場人物全員がある種の「歪み」を抱えている点。
とはいえ現代を生きる我々も、全員が大なり小なり歪みを抱えている。
それが良い方向に作用すれば「人気者」「才能のある人」になる。
悪く作用すれば「トラブルメーカー」「犯罪者」になる。
というのが私の見解だ。
坂本昌行演じるラルフは、七人の少女を誘拐し、性的暴行を加えた挙句に殺した。
凶悪な連続殺人鬼である。
これは世間の常識に当てはめた、彼への評価。
彼が少女を誘拐する、まさにそのシーンが描かれる。
彼は見ず知らずの少女に声をかける。
怪しむ少女に何度も挨拶を強要する。
無理やり車に押し込み、自分の住処へと連れ去る。
これが、第三者から見た事件のあらまし。
ところが彼の目線からはどうだろう。
可愛い子がいたから声をかけた。
挨拶を返すことを知らないようなので教えてあげた。
お喋りするうち自分のことを好きになってくれた。
なので車に乗せて、自宅でもっと愛を深めようと思った。
つまり「悪いこと」をしている自覚がないのだ。
これが認知の歪み。
よく似た事例として思い浮かぶのは、痴漢である。
なんと「痴漢しないでください」と書いたバッジをつけている人には痴漢をしない、そう語る加害者は一定数いるらしい。衝撃。
ソースはネットニュース。
そして痴漢被害者に対して「喜んでいると思った」と語る加害者も、一定数いるらしい。
さらに衝撃。
この時の加害者の心情は、ラルフの歪みとよく似ているように思う。
つまり、相手が自分と同じ価値観や常識を持っている、と勘違いしているのだ。
自分は楽しい、自分は幸せ。
「だから相手もそうに違いない」
小さい子にはよく見られるこの他人を自分と同一視する行為は、成長と共に人間関係を学ぶ上で少しずつ変化してゆく。
しかし何らかの歪みでそれが正されないまま、または特定の相手に対して適用されないまま成長した人間が、トラブルを起こす。
不謹慎だが、面白いなあと思う。
少女たちに性的暴行を加えたラルフ。
だが舞台後半、ラルフ自身も幼少期に、父親「たち」に性的暴行を受けていたことが語られる。
おそらく母親も、それを容認したのだろうとも。
舞台全てを通して、ラルフが繰り返す象徴的な言葉がある。
「あったり前!!」
「ごめんあそばせ」
この言葉が、本当に頻繁に、口癖のように出てくる。
私はこれが、母親の口癖だったのだろうと推測する。
恋人が自分の子供に性的暴行を加えるのは「当たり前」
子供が反抗することは許さず、常に従順を望む。
悪い言葉は使っちゃいけない。
そんなものは正しくない。
悪い言葉を使う反抗的な子は、丁寧に「ごめんあそばせ」を言わなくてはいけない。
家庭内の歪みを無視して、従順な都合の良い「正しい」を求める母親。
彼女は息子を、ラルフを愛していたのだろうか。
虐待は連鎖すると言うけど、母親の歪みはどこから来たのだろうか。
少しずつ積もった歪みの連鎖がラルフによって爆発したのだとしたら、その罪は誰のものだろうか。
「お父さんはあなたを愛しているからこんなことをするのよ」
そう言われていたと推測するのは簡単だ。
そんな幼少期を送ったのなら、ラルフが少女たちに性的暴行を加えたのも納得する。
だって好きになってくれたから。
だってこれが愛だから。
だから暴行した。
ずっと一緒にいられるように殺した。
きちんと並べて、正しい位置に置いて、ずっと一緒にいられるようにした。
大きくなってからの愛を知らないから、あの頃の自分と同じ、小さい子を愛した。
そう考えたのか、無意識なのか、はたまた自分への加害性が低いからか。
私には分からない。
でも考えるのは楽しい。
舞台の最後、殺した少女の母親と対面するラルフ。
彼女の娘への「本当の愛」に触れたラルフの、凍っていた認知の歪みが溶ける。
これ、とってもアナ雪的だと思うんです。
冒頭の私の感想よこんにちは。
アナ雪は「凍っていたエルサの心が姉妹の愛によって溶ける話」と思われがち。
確かに大筋ではそう。
でもあの姉妹。二人ともしっかり歪みを抱えてると思うんです。
エルサは「隠す」という歪みを抱えているのは分かりやすい。
アナの歪みはまさに、他人と自分の同一視。
割と無責任に騙されて結婚を決めるし、姉の感じ方は自分と同じと信じて疑わないし。
アナちゃんまじフローズン。
お互いの本物の愛に初めて触れて、歪みが溶ける。
でも姉妹の歪みは他人に受け入れられる、愛嬌ある類のもの。
さらに触れた愛は、自分に対して向けられたもの。
なので歪みが溶けて客観的に自分を見られるようになっても、幸せが残る。
ハッピーエンド。いえい。
対してラルフはどうだろう。
初めて触れた本物の愛、それは自分が殺した少女への愛。
認知の歪みが溶けても、自分を愛してくれる人はいない。
客観視できるようになった自分に残るのは、罪と周囲からの憎悪だけ。
いやあ!!恐ろしいよね!!!
そこで「もう生きていられない」と感じるラルフがとても人間臭くて普通っぽくて。
今まであんなに歪んでたのに。
歪みのおかげで生かされてきたなら、人生って、何なんでしょうね。
世の中みんな歪みと上手く付き合いつつ生きてるんだとしたら、社会における「普通」って、何なんでしょうね。
そして想像の余地を大きく残したのが、精神科医アニータ。
冒頭、彼女は自分の感情を抑えられず苦労していた描写がある。
「アパートの皆さん!ヒステリックなうるさい女がとうとう出てゆきますよ!!!」
と叫んでいるのだ。
毎日、何をそんなに叫んでいたんだ。おぬし。
という疑問を残したまま迎えたラストで語られる。
彼女は共同研究者だった男と寝たらしい。
しかも彼は、親友の夫だった。
その罪は誰に許してもらうこともできない。
自分で抱えるしかない。
歪んでいると認識したまま、歪みを抱えて生きなければならない。
しかし私は思うのです。
「親友の夫と寝たくらいで、そんなに毎日発狂するかね!?!?!?」
いや、する人もいるかもしれん。分からん。
私は親友の夫と寝たことが無いし、さらに寝たいと思ったことも無いから。
言ってしまえば不倫な訳だが、その程度でそんなに叫ぶかね?
共に研究を重ねてきて、誰よりも時間と思考を共にしてきた自信と愛があったかね?
アニータが殊更貞淑に重きを置く人だったのか、それとも別の歪みを抱えていたのか。
大きな歪みを抱えた人間を研究するのは、単なる知的好奇心なのか。
それとも自らの心への探究だったのか。
彼女の今後は、歪みを許してもらえる誰かに出会えるんだろうか。
色々考えることの多い、すごく有意義な舞台でした。
やっぱり私、ドロっドロに暗くて重〜い話が好きみたいです。
2022.12.5 追記
フォロワさんの感想を読んで、ちょっと思いついたことがあるので書いておく。
まず大前提として、私の「凍った心を愛が溶かす物語」という解釈は揺るがない。
けど、ラルフが死んだラストに、もう一つ解釈が出てきてしまったぜ!!
「ラルフ、まじで肺が痛かった説」テッテレー
少女の母親に許されたラルフ、それ以降肺が痛くてたまらないとアニータに告げる。
それを聞いた彼女は、「それは心臓の痛み。心の痛みよ。」と。
これを、アニータがそう思いたかっただけ、と感じた方がいたらしい。
確かにな!!!!!
アニータちゃん、それ本当ですか???
それってあなたの感想ですよね(煽るな)
ラルフ、まじで肺が痛かったんじゃないか?
というのも私の話なんですが。
私はストレスを感じにくい代わりに、体がもろに影響を受けるタイプでして。
(あ、今はめちゃ元気!フッフー!)
精神的なストレスが溜まってくると、日常的に過呼吸気味になるんです。
で、一時的にどう対処するかっていうと、息を止める。
ふつーに、瞬きするくらいのテンションで、1分くらい普通に息を止める。
そんな生活を送ってると、だんだん息が上手くできなくなってくるんです。
上手く吸えない、吐けない、酸素が足りない。
頭がぼーっとして、考えることが出来ない。
息が苦しくなって、物理的に体が動かなくなる。
で、その過程で、肺が苦しくなるんです。
ラルフは初めて愛に触れて、今まで目を閉ざしていた「ストレス」に気づいたのでは?
でも心は幼年期のままで止まってるから、体にぜんぶの影響が来たのでは?
ストレスを緩和させる術も、慈しんで支えてくれる人も知らずに。
呼吸がだんだん苦しくなって、頭がぼんやりして、体が動かなくなって。
自ら選んだ死は、最後に唯一残された慈しみだったのでは?
なんてことを、つらつら思いつきました。
他人さんの感想読むのたのしい。
もしこの説が採用されたとしたら。
心は罪に気づかないまま、身体は自らの罪に押し潰されるなんて。
ちょっと恐ろしくはないですか?